
完全試合とノーヒットノーランってどう違うの?本記事では、どちらも投手が大記録を達成する特別な試合として知られるその違いを、初心者にもわかりやすく解説します。さらに、走者をひとりも出さない「完全試合」のすごさや、佐々木朗希投手など歴代の名シーンも紹介。読めば野球の奥深さがもっと楽しく感じられます。
完全試合とノーヒットノーランの決定的な違いとは

野球における投手の記録の中でも、特に偉大な達成として語り継がれる「完全試合」と「ノーヒットノーラン」。どちらも安打を1本も許さない素晴らしい投球内容ですが、達成条件には明確な違いがあります。この章では、両者の決定的な違いを分かりやすく解説します。
完全試合とは走者を一人も許さないパーフェクトな投球
完全試合(パーフェクトゲーム)とは、先発投手が相手チームの打者を一度も出塁させずに勝利する試合のことです。 安打はもちろん、四球(フォアボール)や死球(デッドボール)、味方の失策(エラー)による出塁、さらには振り逃げの記録も許されません。
9イニングを投げる場合、打者27人すべてをアウトに打ち取る必要があり、まさに「完璧」な投球が求められる、投手にとって最高の栄誉と言える記録です。
ノーヒットノーランとは安打さえ打たれなければOK
一方、ノーヒットノーランは日本語で「無安打無得点試合」と訳される通り、先発投手が相手チームに安打を1本も打たれず、かつ得点も与えずに勝利した試合を指します。 完全試合との大きな違いは、安打以外の理由であれば走者を出すことが許される点です。
具体的には、四球、死球、味方の失策(エラー)、振り逃げなどで走者が出塁しても、後続の打者を抑えてホームイン(生還)させなければ、ノーヒットノーランの記録は成立します。
比較表でわかる「完全試合」「ノーヒットノーラン」の関係性
完全試合とノーヒットノーランの関係性は、「完全試合」は「ノーヒットノーラン」の中に含まれる、最も達成条件が厳しい特別な記録と理解すると分かりやすいでしょう。
すべての完全試合はノーヒットノーランでもありますが、すべてのノーヒットノーランが完全試合になるわけではありません。両者の条件の違いを以下の表にまとめました。
| 項目 | 完全試合 | ノーヒットノーラン |
|---|---|---|
| 安打を打たれる | 許されない | 許されない |
| 四球・死球での出塁 | 許されない | 許される |
| 味方の失策(エラー)での出塁 | 許されない | 許される |
| 振り逃げでの出塁 | 許されない | 許される |
| 得点される | 許されない | 許されない |
このように、完全試合はノーヒットノーランの条件をすべて満たしたうえで、さらに一切の出塁を許さないという極めて厳しい条件が課せられています。そのため、達成頻度もノーヒットノーランに比べて格段に低く、プロ野球の長い歴史の中でも数えるほどしか記録されていません。
完全試合の定義とその難しさ

完全試合は、野球における投手最高の栄誉とされ、その達成は極めて困難です。ここでは、その厳格な定義を再確認し、なぜこれほどまでに達成が難しいのかを掘り下げて解説します。
完全試合達成に求められる厳格な条件
完全試合とは、先発投手が試合終了まで相手チームの打者を一度も出塁させずに勝利することを指します。 「パーフェクトゲーム」とも呼ばれ、文字通り完璧な内容が求められる記録です。具体的には、9イニングを投げて対戦する27人の打者すべてをアウトにしなければなりません。
ノーヒットノーランとの最大の違いは、「いかなる出塁も許されない」という点にあります。 以下の表で、完全試合とノーヒットノーランで許されないプレーの違いを確認してみましょう。
| プレーの種類 | 完全試合 | ノーヒットノーラン |
|---|---|---|
| 安打(ヒット) | 許されない | 許されない |
| 四球(フォアボール) | 許されない | 許される |
| 死球(デッドボール) | 許されない | 許される |
| 味方の失策(エラー) | 許されない | 許される |
| 振り逃げ | 許されない | 許される |
| 打撃妨害・走塁妨害 | 許されない | 許される |
このように、ノーヒットノーランは安打さえ打たれなければ、四球や味方のエラーによる出塁は記録上許されます。
しかし、完全試合ではそれらを含むすべての出塁が記録の達成を阻む要因となります。 まさに、一点の曇りも許されない究極の記録なのです。
完全試合の達成が難しい3つの理由
プロ野球の長い歴史の中でも、完全試合の達成者はごくわずかです。 その理由は、投手一人の力だけでは決して成し遂げられない、3つの要因が完璧に噛み合う必要があるからです。
- 投手自身の絶対的なパフォーマンス
- 9人全員による鉄壁の守備
- 幸運を味方につける必要性
1つずつ詳しく見ていきましょう。
1. 投手自身の絶対的なパフォーマンス
大前提として、投手がその日最高のコンディションで、圧倒的な投球を見せることが不可欠です。27人の打者を連続で抑えるためには、試合を通して球威や制球力を維持する驚異的なスタミナと集中力が求められます。1球の失投が命取りになるプレッシャーの中で、9回裏の最後の打者をアウトにするまで完璧な投球を続けなければなりません。
2. 9人全員による鉄壁の守備
完全試合は、投手一人の記録でありながら、野手全員の協力なくしては成立しません。 ゴロやフライなど、打球の処理は野手に委ねられます。たとえ平凡な打球であっても、一つのエラーが記録を途絶えさせてしまうため、野手にも極度の緊張感が強いられます。 投手の快投に応えるべく、9イニングの間、守備陣全員がミスなくプレーし続けることが絶対条件です。
3. 幸運を味方につける必要性
どれだけ優れた投球と守備があっても、最後は「運」も必要です。打球が野手の間を抜けるポテンヒット、イレギュラーバウンド、折れたバットに当たってコースが変わる内野安打など、実力だけでは防ぎようのない不運なヒットは常に起こり得ます。
偶然性の高いプレーが一度も発生しない幸運も、完全試合達成には欠かせない要素なのです。

日本プロ野球 歴代完全試合の達成投手 全16名を紹介

長い日本プロ野球の歴史において、完全試合(パーフェクトゲーム)を達成した投手は、2022年4月10日までにわずか16人のみです。 まさに伝説として語り継がれる大記録を成し遂げた投手たちを、年代を追って紹介します。
1950年代 5人の投手が達成
プロ野球が2リーグ制に移行した1950年代は、5人もの投手が完全試合を達成した時代でした。その中でも特筆すべきは、日本プロ野球史上初の達成者である藤本英雄投手です。
| 達成日 | 達成投手 | 所属球団 | 対戦相手 | スコア | 球場 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1950年6月28日 | 藤本 英雄 | 読売ジャイアンツ | 西日本パイレーツ | 4-0 | 青森市営球場 |
| 1955年6月19日 | 武智 文雄 | 近鉄パールス | 大映スターズ | 3-0 | 大阪球場 |
| 1956年9月19日 | 宮地 惟友 | 国鉄スワローズ | 広島カープ | 6-0 | 石川県営兼六園野球場 |
| 1957年8月21日 | 金田 正一 | 国鉄スワローズ | 中日ドラゴンズ | 1-0 | 中日スタヂアム |
| 1957年7月19日 | 西村 貞朗 | 西鉄ライオンズ | 東映フライヤーズ | 1-0 | 平和台野球場 |
1950年、巨人の藤本英雄投手は、当初登板予定ではありませんでした。
しかし、先発投手の体調不良により急遽マウンドに上がり、日本プロ野球史上初めて打者27人を完璧に抑えるという偉業を成し遂げました。また、400勝投手の金田正一投手も国鉄スワローズ時代にこの大記録を達成しています。
1960年代から70年代 9人のレジェンドが達成
1960年代から70年代にかけては、9人の投手が完全試合を達成し、まさに伝説の時代となりました。特に1966年には、わずか11日の間に2人の投手が達成するという記録的な出来事もありました。
| 達成日 | 達成投手 | 所属球団 | 対戦相手 | スコア | 球場 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1960年8月11日 | 島田 源太郎 | 大洋ホエールズ | 大阪タイガース | 1-0 | 川崎球場 |
| 1961年6月20日 | 森滝 義巳 | 国鉄スワローズ | 中日ドラゴンズ | 1-0 | 後楽園球場 |
| 1966年5月1日 | 佐々木 吉郎 | 大洋ホエールズ | 広島カープ | 1-0 | 広島市民球場 |
| 1966年5月12日 | 田中 勉 | 西鉄ライオンズ | 南海ホークス | 2-0 | 大阪球場 |
| 1968年9月14日 | 外木場 義郎 | 広島東洋カープ | 大洋ホエールズ | 2-0 | 広島市民球場 |
| 1970年10月6日 | 佐々木 宏一郎 | 近鉄バファローズ | 南海ホークス | 3-0 | 大阪球場 |
| 1971年8月21日 | 高橋 善正 | 東映フライヤーズ | 西鉄ライオンズ | 4-0 | 後楽園球場 |
| 1973年10月10日 | 八木沢 荘六 | ロッテオリオンズ | 太平洋クラブライオンズ | 1-0 | 県営宮城球場 |
| 1978年8月31日 | 今井 雄太郎 | 阪急ブレーブス | ロッテオリオンズ | 5-0 | 県営宮城球場 |
1960年に大洋ホエールズの島田源太郎投手は、当時の史上最年少記録となる20歳11ヶ月で完全試合を達成しました。また、1978年に阪急ブレーブスの今井雄太郎投手が達成した完全試合は、昭和最後の完全試合として記録されています。
1990年代以降 現代野球で達成した2投手
投手の分業制が確立された現代野球において、先発投手が一人で9回を投げ抜くこと自体が難しくなり、完全試合の達成は至難の業となりました。
1978年の今井雄太郎投手の達成以降、長らく記録は途絶えていましたが、平成と令和の時代にそれぞれ1人ずつ、計2人の投手がこの偉業を成し遂げています。
平成唯一の達成者 槙原寛己
1994年5月18日、読売ジャイアンツの槙原寛己投手は、福岡ドームで行われた対広島東洋カープ戦で、16年ぶり史上15人目となる完全試合を達成しました。 この記録は、平成の時代における唯一の完全試合として、今なお多くのファンの記憶に刻まれています。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に「三本柱」と称された速球派右腕が、まさに完璧な投球で歴史に名を刻んだ瞬間でした。
28年ぶりの快挙 佐々木朗希
2022年4月10日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手は、ZOZOマリンスタジアムでの対オリックス・バファローズ戦で、槙原投手以来28年ぶり、史上16人目となる完全試合を達成しました。
20歳5ヶ月での達成は史上最年少記録であり、令和初の快挙となりました。 この試合で佐々木投手は、日本新記録となる13者連続奪三振、そしてプロ野球タイ記録となる1試合19奪三振も同時に樹立し、圧巻の投球で野球界に衝撃を与えました。

メジャーリーグや高校野球における完全試合

日本プロ野球のみならず、野球の世界最高峰であるメ-ジャーリーグベースボール(MLB)や、数々のドラマを生んできた日本の高校野球においても、完全試合は極めて希少な記録として刻まれています。その達成の難しさは、NPBと同様、あるいはそれ以上とも言えるでしょう。
MLB(メジャーリーグ)の完全試合達成投手
MLBの100年を超える長い歴史の中で、完全試合(パーフェクトゲーム)は非常に少なく、達成した投手は伝説として語り継がれています。
24回しか記録されていない偉業
MLBでは、これまでに記録された完全試合はわずか24回です。 近年では、2012年に3人もの投手が達成するという珍しい年がありましたが、その後はニューヨーク・ヤンキースのドミンゴ・ヘルマンが2023年6月28日に達成するまで11年間も記録は生まれませんでした。21世紀に入ってからの達成者は以下の通りです。
| 達成日 | 投手名 | 所属チーム | 対戦相手 |
|---|---|---|---|
| 2004年5月18日 | ランディ・ジョンソン | アリゾナ・ダイヤモンドバックス | アトランタ・ブレーブス |
| 2009年7月23日 | マーク・バーリー | シカゴ・ホワイトソックス | タンパベイ・レイズ |
| 2010年5月9日 | ダラス・ブレーデン | オークランド・アスレチックス | タンパベイ・レイズ |
| 2010年5月29日 | ロイ・ハラデイ | フィラデルフィア・フィリーズ | フロリダ・マーリンズ |
| 2012年4月21日 | フィリップ・ハンバー | シカゴ・ホワイトソックス | シアトル・マリナーズ |
| 2012年6月13日 | マット・ケイン | サンフランシスコ・ジャイアンツ | ヒューストン・アストロズ |
| 2012年8月15日 | フェリックス・ヘルナンデス | シアトル・マリナーズ | タンパベイ・レイズ |
| 2023年6月28日 | ドミンゴ・ヘルマン | ニューヨーク・ヤンキース | オークランド・アスレチックス |
特に、1956年のワールドシリーズ第5戦でドン・ラーセン(ニューヨーク・ヤンキース)が達成した完全試合は、MLB史上唯一のポストシーズンでの記録であり、今なお最高のピッチングの一つとしてファンの記憶に残っています。
甲子園で記録された完全試合
高校球児たちの憧れの舞台である甲子園においても、完全試合は過去に数例しか記録されていない大変名誉な記録です。春の選抜高等学校野球大会(センバツ)と夏の全国高等学校野球選手権大会を合わせても、その達成者はごくわずかです。
春夏の大会で達成した投手たち
夏の甲子園ではいまだ完全試合の達成者はいませんが、9回2死までパーフェクトに抑えながら、27人目の打者に死球を与えてしまい、惜しくも快挙を逃した投手がいます。 1982年大会の佐賀商業・新谷博投手です。
| 大会 | 達成日 | 投手名 | 所属高校 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|---|
| 第50回選抜高等学校野球大会 | 1978年3月26日 | 松本 稔 | 前橋(群馬) | 比叡山(滋賀) |
| 第66回選抜高等学校野球大会 | 1994年3月26日 | 中野 真博 | 金沢(石川) | 江の川(島根) |
一方、春のセンバツでは過去に2人の投手が完全試合を達成しています。1978年の第50回大会で前橋高校の松本稔投手が、比叡山高校を相手に甲子園史上初の完全試合を達成しました。
その後、1994年の第66回大会で金沢高校の中野真博投手も江の川高校(現・石見智翠館高校)を相手に偉業を成し遂げています。高校野球という一発勝負の舞台で、相手打者を一人も塁に出さないということがいかに困難であるかが、この記録の希少性からもうかがえます。
まとめ

本記事では、完全試合とノーヒットノーランの違い、そして歴代の達成投手について解説しました。完全試合は、安打だけでなく四死球やエラーによる走者も一切許さない究極の記録です。
一方、ノーヒットノーランは安打さえ打たれなければ達成となり、両者には明確な差があります。プロ野球の長い歴史で達成者はわずか16名。この事実こそが、完全試合がいかに困難な大記録であるかを物語っています。この記事が、野球の記録への理解を深める一助となれば幸いです。